わたしと、私。

日常生活で気づいたことをとりあえず書いてみています。

医療者からみた「死ぬ」とゆうこと

久々にブログを書きます^ ^




よく、

「長生きしたい」とか、

「死を考えるのが怖い」という

話をしたりします。





「いつ死ぬかわからないから、いまを生きよう」というのは、まさしくその通りです。




ただ、みんな考えたことがあるのか?

と思うのは、


「死に方は選べない」


ということ。

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医療現場のわたしたちが話すのは、

「「どういう」死に方ならいい?」



という会話になります。




わたしたちは、

「死」に対して慣れている。

と言われますが、

それは微妙に違います。




「いつか死ぬ」という意味を

嫌でも十分理解している。

ということ。






いま、わたしたちは生きていますが、

例えば、「老衰」で自宅で死ねると

考えている人があまりにも多い。





そして、「死ぬ前」に会話ができると

考えている人も。




話せず、じぶんで動けず、食事できず、

10年以上寝たきりでいる人だっています。




そして、じぶんの意に反して

延命された人たち。




機械が心臓の代わりをして

意識はないけど、

「生きている」という生き方もある。




どんな生き方が、

いいとか、悪いとかではなく、

ただ、こればかりは

選べないことがほとんど。





医療者たちは、それをよく知っている。




じぶんたちは、

それに当てはまらない。

なんて事も思っていません。




じぶんもそうなる可能性が十分ある。

と考えています。


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わたし個人は、

人生を太く短く生きたいと思っていて、





それは、

周りに迷惑をかけるからではなく、



長生きしても、しなくても、

死に方やタイミングは、

じぶんではコントロールできないことを

心から理解しているからこそです。





だからこそ、

仕事をしている間、

遊んでる間は、

頭はフル回転だし、

疲れるし、

疲れている方が、十分休めるし、

休むことの余白が、

どれほど大切な時間なのかも痛感しているから。





そして、医療現場では、

「生きている人」が優先される。





亡くなった人の後に、

急患が入るなら、急いで

そのベッドはキレイにして

「助けれる生きている人」の治療を

優先させます。





冷たいと感じる方もいるかもしれませんが、

病院というのは、

「人を助けること」が目的だから。





異様な光景かもしれませんが、

1番大切なことは、

亡くなっている人に必要なことは、

一刻も早く、大切なご家族のもとに

戻ること。




必要な人には、

一刻も早く回復してもらうように

すること。




だと感じています。




なかなか色々な考え方があり、

難しいですが、わたしは、少なくとも

普段からこんなことを考えながら

「死」と触れ合っています。




生まれ方、死に方は、

誰も選べないから、

目の前のことを大切にしようと

感じます^ ^