わたしと、私。

日常生活の中で気づいたことを書いています。

自分らしく生きるために必要なこと。

実は最近、新しい挑戦をしています。

 

挑戦って言っても、なんかでっかいことをやり遂げるとかじゃないけれども、

ずっとずっと心理学に興味があったので、

しっかりと根拠のあることを学びたいと思い、

最近学校のようなところに行っています。

 

 

そこで、「人の話を聴く」ことを実習を通して学んでいるんですが、

いままでいかに自分が人の話を聴いてこなかったのか。

 

 

いかに自分が相手のことをわかった「つもり」だったのか

よくわかり反省しています。

 

 

 

1、人の話を聴くということ。

人の話を「聴く」というのは、

ものすごく大事であり、ものすごく難しい。

 

 

「聞く」というのは、ノイズでも耳に入ってくる雑音とか耳に入ってくるもの。

「聴く」というのは、感覚を働かせて識別すること。つまり、意図的に集中して、

心をそちら側に向けて耳に入れること。

「訊く」というのは、たずねること。

 

 

普段、わたしは、今まで話しを「聞いていた」んだと思います。

 

だって、人の話をききながら、別の事を考えていたり、

「次、何話そうかな」って考えながら話をきいていたり。

これは、「聴く」ではありません。

 

人の話を「聴く」って、多分、

自分の主観とか価値観は捨てて、相手と同じ場所にとどまることだったんだのだと。

 

 

2、話を聴いてもらうことで得られるもの。

きっと人に話を聴いてもらうことで得られるものは、

「わかってもらうこと」ではなく、

聴くことにより、相手が、

「自分自身の心に耳を傾けることを学ぶということ」

だと思う。

 

 

話を聴く人を介して、聴いてもらっている人自身が、

自分自身を理解していき、自己決定・自己解決ができること。

 

 

なのではないかなと思います。

 

 

つまり、本当の意味でのこれが自立なのだと思います。

 

 

3、話を聴いてもらうことができれば、「自分らしく」生きることになる。

わたしの学んでいる心理学は、

社会的な「個性を尊重しよう!」「自分だけの何かを見つけよう」とか、

正直じぶんらしくいること=じぶんだけの個性をみつけること

というものではありません。

 

 

以前は、「自分らしく」いないことが、そうじゃないことは、

普通でいることは、私の中で劣等感でした。

 

どこか、何か自分だけのものを見つけなければ、よくない。

と考えていました。

 

 

だから、いわゆる「自分らしくない」という状態のときも、

自分らしくいようとする」ときも、どこかで何か努力したり。

 

 

そこには、なんというか休むことは許されないような感覚。

自分らしくいることさえも、頑張ることを伴うような感覚でした。

 

 

でも、やっぱりどうしても悶々として、疲れるんですよ。

 

「変わりたくても変われない。」って感覚。

 

 

本当は自分らしくありたいけど、どこかで、自分らしくあれたら楽なんだろうけど、

自分らしく在るために、結局はそこまで努力しなければいけないような感覚。

 

 

終わりがないし、キリがない。疲れる。

 

もうそもそも、自分らしさってなんだよ。って

結局振り出しに戻る感じ。

 

そんな感覚でした。

 

 

 

でもわたしが思うに、自分らしさって、

多分もっともっと力が抜けた、気取ったり、装ったりしなくても

いい。っていう生き方が自分らしさなのかなって。

 

 

そっちにわたしはもっともっとシフトチェンジしていきたい。

f:id:kurina3880:20180622202102j:plain

それがどうしたらできるのか。根拠を持って、学びたかったのです。

 

 

そのために、「話を聴く」ことを学んでいます。

 

 

わたし自身が、話をしっかり「聴いて」もらったことで、それで、今、

自分自身のやりたいことや興味があることに自然と集中して取り組めているからです。

 

 

もっともっと知りたい。

おもしろい。挑戦したい。

それって、とんでもない大きいことでもなんでもなく、

 

 

どちらかというと、自分だけの心の中から湧き上がってくる小さなものに、

素直に体を動かす感覚だからです。

 

 

きっとそれが、わたしが体験した、

「話を聴いてもらったことで、自分らしくいられる」という感覚だから。

 

 

 

 

4、ホンモノは選ばない。

正直な話、「お客さんを選ぶ」ということがわたしはよくわからなくて。

それって、手術をする医者が患者を選ぶのと一緒。

 

わたし個人は、

「ほんもの」の人ほど、きっと、より好みはしないと思うのです。

 

 

そこに得て不得手はあっても、その幅をできるだけ小さくしていく。

それが、プロだとわたしは考えます。

 

 

きっとそこには表面では測れない、努力というよりも、

きっと人としての厚みが必要だと思う。

 

 

プロであれば、

1つのモノに対して、

一方向から見ているのではなく、

同じ1つのもの見ているように見えて、多角的にいろんな角度から

実はその「モノ」が見えているから。

 

 

それはきっとどの世界にも通じるものがあると思う。

 

 

実際にわたしが接してきた、

すごいなって人たちって、選ばない人がほとんど。

 

 

自分の限界を知っていて、そこに対してもとても謙虚。

上には上がいることも知っていて、

より良いモノ、目の前の相手にベストが提供できるように、

できないときはさらにいい人との繋がりを持ち、責任を持ち紹介する。

 

 

下手なアドバイスもしない。訊かれたことには対応し、

求められていないアドバイスは必要最低限しかしない。

 

 

わたしもそういう人になりたいなって思う。