わたしと、私。

日常生活の中で気づいたことを書いています。

譲れないもの

実は4月頃よりカウンセリングの勉強をしています。

 

受からなかったらどうしようと思い、数人の友人にしか話していなかったのですが、

まー受からなかったら、次回また受ければいいか。という想いでいれるようになった

ので、ブログに書いてみようと思って書いてます。

 

 

そもそもわたしがカウンセリングの勉強をしたいと思ったのは、

わたし自身がすっごくコミュニケーションで苦労していて、

さらに自己中心的で人に気持ちがわからない人だからです。

 

 

看護師をやっているのにわかんないのかよ。

って言われそうですが、そうです。

 

 

以前のわたしは、全くその遠りで、

じぶんがこうしたい。とか

ああしてほしい。って気持ちがあると、

自分以外の人間も、わたしと同じように思っているはず!とか

思っていたし、

 

わたしがこんなに苦労してるんだから、あなたも苦労しなさいよ!

って押し付ける人間でもあった。

 

 

誰かに親切にして「あげたい」という上から目線。

正しい道へ導きたい。という、余計なおせっかい。

察してほしい。という傲慢さ。

を兼ね揃えた人間でした。

 

 

 

看護師という仕事を通して、

仕事は結構完璧主義だと言われるし自分でもそう思います。

 

 

ただ、人の体を扱う仕事に対しては、

知識うんぬんよりももちろんですが、それ以上に

「真剣に1人1人に向き合いたい」という気持ちが強い。

 

 

そこの気持ちの部分は、いい加減に扱っていいものじゃないので。

 

 

歳を重ねていくごとに、

患者さんだけでなく、患者さんを取り巻く家族の想いや、人生や命の延命などの

想像を超すようなその人の人生に関わる決断の場に自分が居合わせることの

重さというものを、ますます感じるようになりました。

 

 

生きるか死ぬか。

究極の大きな選択・決断を迫られる患者さんもしくは、その家族。

逆にコトの重大さに気づいていない人もいます。

受け入れれない現実を、短期間で急に突きつけれれることへの悲しみや怒りや、

絶望感などの複雑な心情にある人たちにとって、何が信頼できるのか。

 

 

その中の1つに、いち医療従事者としての「人としての在り方」と

いうものが、すごくすごく信頼というものに大きく影響するということが

本当によく身にしみています。

 

 

 

だからこそ、体のことだけでなく、心のことも真剣に学びたいと

思いカウンセラーの資格を取りたいと思いました。

これは、わたし自身が、仕事に対し、「割り切って」行うものではなく

「人として仕事に向き合いたい」という気持ちからです。

 

 

 

もちろん至らない点は山ほどある。

けど、周りからみて、この気持ちの部分が『完璧主義』とみられることや

厳しさと言われるものでもあります。

 

 

でも、自分のほんとうに大切にしたいもの。

つまり『人として仕事に向き合っていくこと』は、

わたし自身の譲れない部分であり誇りでもあります。

そして生きていく上でこの部分はどれだけ自分が迷ったり、違う方向に行っても

変わらない、道標みたいなものだと思っています。

 

 

 

自分が完璧じゃないからこそ、

もっともっとよりよく何かを提供するために自己研鑽するのは当たり前で、

厳しいって思うかもしれないけど、

わたし自身は正直それを楽しんでる部分もあります。

 

 

 

綺麗事ばっかじゃないけど、100回うまくいかなかったとしても、

年間にたった1人の患者さんから『ありがとう』と心のこもった一言が

あったときにはそれだけで結構嬉しさ満タンな気持ちになるもんです。

 

 

それにその嬉しさや安心感とか、病気を通して、

触れることができる人の気持ちというものは、

つらいこともあるけれども、本当に純粋な部分を学ぶ場所でも

あって、今のわたしはやっぱり1人1人の出会った人たちのおかげで

この価値観が作られているのだなとも感じます。

 

 

 

カウンセリングを学んでいっても、

過信しないよう、かといって、自身を虐げることもなく

これからも学びつづけて自己成長したい。