わたしと、私。

日常生活の中で気づいたことを書いています。

幸せな夫婦たちから学んだこと。

昨日は、高校の同級生の結婚式だった。


30代後半に出た同級生の結婚式は、

とても温かい結婚式だった。




結婚式に来た友人の中に、

ほんとに絵に描いたような夫婦になり

家族になり、

高校時代から変わらないパートナーシップを

築いている友人がいる。




子どもを生んでも、

彼女たちはお互いを名前で呼びあい、

周りが温かい気持ちになるくらい

温かい家族。




それは、付き合っている当時から

色々ぶつかり、自分のやりたいことをしたい。と素直になり、

それをお互いに応援したり。

つらい時でも支えあって相手を尊重する。

そんな人として尊重しあえる人間関係を

ずっとずっと続けているからだと思う。




結婚式に出て感じたのは、




結婚式は、

とてもその人たちの在り方が出るもの。

ということ。



人は多いが、どこか見栄を張っている式とか

もあった。




ほんとに素敵な式というのは、

人が少なくとも、心からお祝いして

くれる人がその場にどれだけいるか?

だと思った。




そして、わたし自身は、

高校時代まで親友といえる友人が

いなかったと思う。




素敵な友人夫婦たちや、

親友と呼べる人たちと何が違うのか?




それはきっと、わたしが気を遣いすぎて

ぶつかりあうことを恐れていたんだと

思う。




彼女たちの今があるのは、

見えないところでお互いを尊重して

本音を伝えているところだ。




この尊重する=気を遣うことだと

わたしは勘違いしていた。




尊重するとは、お互いの違いを

ただ受け入れることなんだなと思う。

受け入れて我慢することではなく、

受け入れた上で、自分はどう思っているかを

伝えること。




ただそれだけなんだな。と。








繊細な人はわかるかもしれないが、

相手と話すと、

「あ、この人多分こんな人なんだろうな」

と思うときがある。




そうすると、どこかその相手を

すごく無意識に「●●な人」と

決め付けてしまう部分がある。




すると、その人に対して、

「●●」の部分が特に目立って見えてしまう。



例えば、この人は、

「優しい人」と感じたら、

優しい部分を、強く感じることになる。




ただ、この部分から外れると、

すごくガッカリすることもある。

そのガッカリの大部分は、

「自分の抱いていたイメージと違ったこと」に対する、ガッカリな部分。


「自分と似たような感覚でいられる人と

思っていたのに」と、

自分を否定されたような期待を裏切られたような感覚になる部分。



こんな感じになる。



で、繊細な人というのは共通して

自分が傷ついてきた人が多く、

人に対してビビリな部分がある。




なので、自分の見立てを大切にしている部分があり、なぜかその自分の見立てを

「当たっている」と感じることが多い。




人はわからないことに対しては不安になり、

その「わからないもの」が「わかるもの」になることで、安心感を得ようとするらしい。




つまり、初めて会う人に対し、

この人は大丈夫か?と不安があるから、

相手をまずは「●●な人」と決め付けて安心するのだ。



ただそれだけなのだ。




よく考えたら、

わたし自身、仕事中の自分。友だちといる時の自分。恋人の前での自分。家族の前での自分。色んな自分がいることが当たり前だ。





なので、相手を決め付けるのは、

完全なる自分の都合。

つまり、相手の都合の良い部分だけを

私はみているだけということにもなる。




傷ついた自分を守る余り、

結局、相手を自分の都合の良い部分しか

みていない人間関係を築いていたのかも

しれない。




気を遣う人といると疲れるのは、

多分、この「決め付け」の部分が

相手に伝わるからだ。




気を遣われた相手は、「あ、この人傷つきやすい人なんだろうな。」と感じ

言葉を慎重に選んだり、逆に気を遣われている。

お互い超無意識に。だけど。




わたしの場合は、

まさにこれで、自分が傷つくのを恐れる余り、安心感を得ようと、相手がこういう人と

決めつけるから、相手も居心地が悪かったんだろうと。





素敵な結婚式から、

また素敵なことに気づくことができ

よかった^ ^



そして、こんな友人が周りにいることを

誇りに思う。