わたしと、私。

日常生活の中で気づいたことを書いています。

共感≠相手の気持ちを敏感に感じ取ること

カウンセリングを学んでいて、ちょっとできていると軽視していたのは、

『共感』に関する理解である。

 

 

共感というのは、同感すること、相手の気持ちを敏感に感じ取ることとは

異なる。ということだ。

 

 

ずっと『共感』の意味を勘違いしていたので、ここに書いておこうと思う。

 

 

 

わたしは、人に無視されたとき、とってもいやな気持ちになった経験がある。

例えば、Aさんも『無視されて嫌な気持ちになった』ことがあるとしよう。

そしてBさんも同じ経験があるとしよう。

 

 

で、今までわたしは、

AさんやBさんから、「無視されて嫌な気持ちになった」と話を聞いたとしたら、

「あーわかるわかる。それ私も経験あるからわかる。つらいよね。」

っていうような返しとか、

返答しなくても、心の中で、「つらいんだろうな」って『思って』いた。

あとは、『あーきっとあの子の場合は○○なことがあったから、こんな気持ちなんだろう』とかって思っていた。

 

 

けれども、実際は、

同じ経験をしても、その『嫌な気持ち』っていうのは、

AさんもBさんも、わたしも誰1人として同じ気持ちではない。ということ。

 

 

共感っていうのは、その1人1人の「ニュアンス」とか「感じ」とか「エッセンス」みたいなものを感じ取って、同じ位置でそこにたっていることなんだと思う。

 

 

 

今までわたしがやってきたものは、共感ではなく、

どちらかというと、同調とか共鳴っていう言葉のほうがしっくりくる。

 

 

 

こっちの共鳴とは、

「わたしは同じ経験をしたことがあるから、きっとあなたも同じような気持ちなんでしょう」という自分の判断の上に成り立っているものであるということ。

それは知らない間に「自分の下した判断」を相手に押し付けていることにつながる。

 

 

で、それを感じ取った相手は「わかってくれない」「押し付けてくる」と感じてしまう。

 

 

 

このジャッジみたいな自分の考えに無意識でいると、

自分の価値観でモノをみていることに気づかないから、

「自分の感じていることがあたかも真実だ」と思ってしまうんじゃないかなあ。と。


 

 

特にわたしは自分が繊細な方だと思うけど、

自分が繊細だからこそ、「わたしは繊細だからわかるよ」って思っている思い込みに

気づき、

どこか『わかっているよ』っていう気持ちも手放す必要がある。

 

 

 

だって『相手の現実』の中に、わたしはいないわけだし、全く関係ないのだから。

 

 

 

自分の価値観でみている部分があるなーと思ったらまずは脇におくこと。

 

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わたしの信頼する友人が話していたが、彼女はコーチングをしている。

いつも言っているなかで、

『わたしには共感力がないが、それでいいと思っている』と話していたが、

今思えば、彼女は共感力は抜群にあって、共鳴力がないのだ。

 

 

つまり、自分の価値観というものは、脇においているので、

彼女と話すときは、いつもコーチングにも関わらず、どこか誘導されない、

自分で前に進んでいるようなコーチングができるのだと思う。

 

 

共感ではなく、共鳴するから、

『一緒にいると相手の気持ちが伝わってきてつらい』となって、一緒にいることが

つらくなってしまったり、めんどくさくなってしまうのだろう。

 

 

 

いつも主役は自分ではなく、目の前にいる『本人自身』であることを

意識していれば、相手に対してもジャッジすることをやめられるのかもしれない。

 

 

いい意味で自分を捨てること。



相手と同じ位置にたって『とどまること。』



これが、本当の『共感』なんだなあと

学んだ。

 

 

 

そして同じ位置に立ち止まることってすっっごく難しい。

共鳴していたら、そこにはきっと留まれないから。

 



「相手と私は別」と割り切ってしまうと、そこには薄い壁ができてしまうため、

それは、『共感している』でなく、

共鳴しているから、割り切らないと相手との距離が保てないのだろう。




だからこそ、もっともっと自分自身と本気で向き合う必要がある。

 

 

とってもとっても難しいんだけど。

 

 

今日はとってもいい学びになった。