わたしと、私。

日常生活の中で気づいたことを書いています。

神様と直感と現実と。

 

先日、季節を『感じること』について書いたけど、ここに直感についても

触れていたと思う。

rinachan.hatenadiary.jp

 

先日同僚と話をしていて、

『直感』と『霊感』って違うよね。と話していた。

 

 

 

以前のわたしは、結構占いに行っていた。

占いが好き。とかじゃなくて、なんか困ったら占いに行く。という感じだ。

 

 

神様がいない。なんて思ってもいないけれども、

困ったときに、神社に行って、

『神様、すごくつらいです。助けてください。どうしたらいいですか』

と言っても、返事はいつまでも返ってこない。

 

 

神様はいると思う。ただ、何が言いたいかというと、

神様は答えをくれない。ということだ。

 

 

 

ここで思うのは、いい意味で、

神様は答えをくれないのだと、諦めることを学んだ。

つまり、自分しか答えは出せないということだ。

 

 

 

でもそんな思いは忘れてしまうわたしは、困ったときはとにかく

この胸のモヤモヤや不安を取り除きたくて、

『誰か』に答えを求めていた。

 

 

これが、すごい。と思う人でも、

宗教の教祖であろうと、

スピリチュアルの神様であろうと、

正直わたしにとっては同じである。

 

目の前の何かにすがりたかったのだ。

 

わたしにとっては、自分の不安を解消してくれる安全・安心な場所に

変わりはなかった。

ただ、何かにすがれればそれでよかった。

 

 

 

誰かの発する言葉に、『すごい!あの人のいうことはいつも素晴らしい!正しい!

あの人といれば「上がれる」』

と、思っていた。

そして相手はいつも「わたしはあなたの味方だよ」というサインを送る。

ただただ親身に話を聞いて、話を全肯定する。

その後、「誰にも話せないことを聞いてくれ、否定なく受け入れてくれた」と

思い、自分のことを理解してくれる人はこの人だ!

なんて思う。

そのうちにアドバイスを聞いているうちに、何か自分にとって良くないコトに会った時

「あ、その人の言ったとおりだ。」ということが重なり、

「すごい!」と、まあ、あたかもその人が言ったとおりになったと思い込もうとする。

そのうち疑うことに罪悪感を覚えているにも関わらず、

なぜか人を信頼しないこと=悪いこと。みたいな構図な頭になっている。

 

 

正しい、正しくないとか、そんな出来事を引き寄せたとかじゃなく、

自分自身がそれを正しいと思い込んでいる。その通りになったと思い込んでいるだけ。

 

 

 

まあ、そのうち、どっぷりハマってお金を遣い続けたけど、

高い教科書代です。

過去は変えられないからね。

 

 

よく考えてみれば、

神様が答えをくれないんだから、他の何も答えをくれないでしょ笑

 

なのに、人間様が神様より偉い存在なの?

 

 

不思議なもんで、誰かを神様の代わりか預言者みたいにしてたんでしょうね。

はっきり言って、これ、依存以外の何者でもないですよ。

と、当時のわたしに言ってあげたい。

 

 

 

1つのエッセンスとして、誰かの言葉を取り入れて人生を豊かにしていくのが

自立した人間というものだと思う。

でも、その信じている「なにか」が正しいとか、そんなふうにちょっとでも

感じているのなら、ちょっとそれ怪しいですよ。

というのが今のわたしの感覚である。

 

 

わたしは直感は大事にする。

これがほしいとか、ここに旅行に行きたいとか、そういうのじゃなくて。

 

 

『ここが気持ちいいなあ』と感じる場所や、

『なんとなくここは危険な気がする』とか、

『なんか違和感があるんだよな』とか、

そういうものをわたしは直感だと思っていて、

それは人として備わっているものだと思うし、その自分だけの

感覚を大切にするためにも、東京は離れたいと思っている。

 

 

 

そういう、こう動物としての直感以外の、

なんだろう。

例えば占いでは、『あなたは家族か友人のことで悩んでいませんか』とか、

そういう誰にでも、なるほど!と、当てはまるようなこと。とか、

誰でも言える安っぽい発言はちょっとなあ。とわたしは信じていない。

 

 

 

 

 

『自分だけは違う。』とか、

自分は依存しているなんて思わない。とか

一種の『自分だけは違う』という特別感っていうのを持っていたら

ちょっと注意が必要だとわたしは思う。

 

 

 

それ、詐欺とかの被害者と同じだよ。

ホストとか、いったことないからわからないけど、

わたしは行かない。

わたしは弱い人間だから。

 

 

ホストに行った友人がいて、最初は5000円スタートだったけど

そのうち、その人がお迎えに来てくれたり、優しくしてくれて、

通うようになって、ボトル入れて、『大丈夫大丈夫。わたしはホストには

はまらないから』と言ってた彼女が2週間ですでに5万以上費やしていた。

 

 

元ホストに話を聞いたら、ホストは客のためなら、

どこへだって行くし、体の関係ももつ。そんなん当たり前だよ。

って言われて、ちょっと恐怖を覚えた。

 

 

それがすべてじゃないけど、

好奇心で手を出したら、気がついたらとんでもないことになる前に

ただわたしは、そこには行かないだけ。

何度も言うけど、わたしは弱いから。

ただでさえ砂糖中毒で誘惑に勝てない私が、さらなる中毒を

求める必要はない。

 

 

 

1度騙された人は2度騙されるっていうけど、

本当にその通りだと思う。

 

 

わたしは人を信頼しないことは良くないとは思わない。

疑うこと≒悪いこと。ではないと思うからだ。

 

 

人に理解してもらいたいと期待するから、

裏切られたと感じたり、人を信頼できない自分をせめてしまう。

けれども、そもそも自分以外の人間に自分のことを理解されるなんてこと

多分ムリだと思う。

寄り添ってもらうことは可能だけど、完全一致は無理。

 

大切なことは、

この人に裏切られようがそうでなかろうが

わたしはこの人を信じる。

もし、何かあったら自分自身が見る目がなかったのだ。

 

 

と覚悟決めて、信頼したい人だけ信頼すればいい。

 

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正常な人間は、先に書いた、直感というものが働くが、

 

 

正常じゃない状態では、直感は働かなかったり、

違和感を感じても、どこか何かの(不安とか誰かからの支配とかの)恐怖に

支配されているためか

違和感をなかったことにしたり、現実逃避して、今の状態を正当化しようとする。

 

 

ただ、思うのは、

今カウンセリングの勉強にいっても占い師さんとかいたり、カウンセリングの世界でも

スピリチュアルな世界が含まれているものもある。

 

 

じゃあなにが違うかって、

「今ここの現実をみているかみていないか。

自分は自分の中に答えを求めているかどうか」だと、わたしは思う。

 

 

 

現実直視しろというのではなく、直視できない自分を認めているか否か。

ってこと。

 

 

 

わたしは弱い。共依存の恋愛をしていた。

けれど、自分が2度と同じ繰り返しはしないと思ってはいない。

 

 

その時の自分がつらかったし、2度と同じことは嫌だからこそ、

もう1度起きないように、注意しながら前に進んでいる。

 

 

人を好きになったときに、まずは自分はこういうことがあった。と認識して

自分の好きになる人の傾向を知ること。

まずは今までの考え方を疑っている。

 

 

同じ繰り返しをしないために、傾向と対策を講じるのだ。

これが学習することだと思う。

 

 

でもね、ほんとに現実みたくないときは、

『なんでかわからないけど、同じことを

繰り返してしまう。

でも原因がわからない。』

こんなことが思い浮かぶ。



ただ、私は、そんなとき、

今まで自己啓発や占い行ってたけど、

自分でもダメなら、もう、専門家に頼ろうと

決めた。



原因不明の熱が何回も出たら、

病院行くのに、

なぜ心のことだけは、本や占いや自己啓発

走るのだろうか。



心のことだって、大切な自分の体。

だから私は「なんとなく」知ってる人や、

専門家でないのに、安易に取り扱うことは

とてもとても危険だと思う。



どう選ぶかは自分次第だが、

まぁ自分のお金だし、私は現実みることを

選ぶだけ。




ただ、人生は学習の繰り返しだし、失敗があってこそ。

人により程度は違うけど。

 

 


言いたいのは、神様でもスピリチュアルでも、答えはくれないよ。

 



その答えをくれる人は、

「その人」の「頭に思い浮かんだこと」

をあなたに伝えているだけ。



 

頭でわかっていても、やってるつもりでも、

できないときは、

そんなふうに誰かに答えを求める自分がいることを

ただただ感じてみてほしいなと思う。

そこにいい、悪いは関係なく^^

 

 

わたしもとてつもなく寂しかったり、孤独感を感じる夜があったけれど、

寂しかったら友人に連絡したり現実に目を向けることで、

自分には助けてくれる友人がいて、1人ではないと実感する。

 

 

 自分は弱い。

弱いから何かにすがりつきたくなるときがある。

そんな弱さを受け入れれなくても、

自分の弱さに気付くだけで、

今、弱さを持っていることがわかるだけで、

見えていなかったものに、ふと気付くことがあるなぁと思っただけ。




特にそういう目に見えないものを

取り扱っている人は、

そのくらい人の繊細な部分を

取り扱うとともに、

そこには自分が思った以上に責任が伴うということ。



「スピリチュアル」という言葉に

逃げているだけなのかどうか、

見極めるのは自分だけ。



何がどう違うのかがわからないなら、

もしかして依存してるだけかも?ね。




長くなったし眠くなったのでここで終わり。